Average Joeブログ

個人的な日記を毎日更新ニキ

中延のヌルヌル銭湯(金春湯)が10月末で閉店します。

2017年10月30日(月)

 近所の銭湯が閉まった。ここに引っ越してきて半年、10回も行かなかっただろうか。たぶん10回くらい入ったかもしれないけど、とにかくそれくらいしか行っていなかったと思う。今日行ったのを含めて、そのくらい。

 この銭湯は、僕の住んでいるアパートのちょうど裏の通りにあった。この銭湯は最初気づかなかった。もうちょっと遠いところの銭湯を先に見つけて、職場に初勤務する前日の夜に、片付けを手伝ってくれていた母さんを部屋に残して、一人で銭湯に行った。越してきたばかりの地でいかにも古い銭湯を見つけた僕は、人知れずはしゃいだ。この銭湯には露天風呂があって、一人になったとき、頭を湯船にいれて洗ったりした。

 そんなことをしているうちに、ロッカーの鍵をどこかになくした。ロッカーの鍵はヘアゴムについてて、腕につけて湯船に入るようなものであったがかなりユルユルだった。ユルユルしているのを甘く見ていたぼくは、それを落とした。明日が初勤務日ということが頭をよぎって、部屋にいる母さんもよぎった。どうやって帰ればいいのか想像がつかなかった。裸で全疾走することを本気で考えた。情けなかった。近くにいたおじさんを捕まえて、鍵を一緒に探してもらった。探すのを付き合ってくれるようなおじさんだった。おじさんと露天風呂まで来て「ここらへんにいたんですけどねえ…」とはなしていたら、そのここら辺に、おじいさんが座っていた。おじさんがおじいさんに鍵がそこら辺にないかと聞いてくれて、おじいさんが露天風呂に浸かりながらお尻の辺りを探してくれた。鍵を手にしている。ぼくの鍵だった。「隠していたわけじゃないよ」とおじいさんは笑ってくれた。「ありがとうございますありがとうございます、つい最近仙台から越してきたばかりで、本当心細かったです」と、そこにいたおじさんたちにいらんことを口走って、もうお風呂に入る気にもなれなかったのでロッカーをあけ、心底安堵して走って母さんのいるアパートに戻った。

 閉まった銭湯はその銭湯ではない。閉まった銭湯は、その事件のあとに見つけた。鍵をなくした銭湯に苦手意識を持ってしまったので、こりゃあいいと思って初めて行ったのは越してきて2ヶ月くらいの時だっただろうか。せっけんを忘れた。アトピー性皮膚炎のぼくには、まあまあの苦難と感じたが、銭湯の高揚感のおかげで「備え付きの雑なボディソープでいいや!」という決断ができた。それくらい、この銭湯も古めかしく、真新しく無機質なものしかほぼない新札幌で育った僕にとってこの銭湯は特別だった。番台があって、おばさんがいた。湯船に入るまえに体を洗っていた。泡がとれない。雑なボディソープってこんなぬるぬるがとれないのかとかなり焦った。ぬるぬるが本当にとれない。お湯にせっけんが含まれているんじゃないかと疑うくらいヌルヌルだった。10分くらい体のヌルヌルを取り除こうとシャワーで苦戦するも、シャワーのお湯をかければかけるほど、ヌルヌルは増すばかりだった。そうするうちに、そのお湯がそういう性質のお湯であるとようやく気付いた。当然湯船のお湯もヌルヌルだった。いや、ヌルヌル以上にお湯が熱かった。熱すぎて、1分も入ってられなかった。

 ヌルヌルな以上に熱すぎたので、夏は行けるような銭湯ではなかった。逆に、冬になったらいけたら便利だなと思っていた。冬になるまえに閉まっちゃうなんて、なんて残念なんだろう。銭湯の向かいにあるサンクスが先に閉まった。8月末くらいだっただろうか。サンクスは、どのサンクスも中身がファミマになっていっていたし、そのサンクスはなによりお店の人が普通のコンビニ以上に荒んでいるように見えた。冷房も変な臭いがしていた。でもヌルヌル銭湯から出て、ほてった体のままウィルキンソンを買うのが楽しかった。このコンビニには、ウィルキンソンのコーラ味があるサンクスだった。

 そんなサンクスが閉まるという張り紙を見た時は正直ふーんという感想しかなかった。実際閉まっても、閉まったあとがどんな感じが見に行く興味すら湧かなかった。そんな感じで、涼しくなるまではヌルヌル銭湯の方には近づかない生活が続いた。

 ヌルヌル銭湯は水曜日が定休日だった。ある水曜日、会社から帰ってきて夜20時過ぎ、ヌルヌル銭湯のまえでずんぐりしたサラリーマンが立ちすくんでいるのを通り過ぎた。ぼくはサラリーマンを横目にその先にあるスーパーに向かっていた。サラリーマンが舌打ちをして何かをつぶやいたように聞こえた。「水曜日が定休日だと知らないんだなこのにわかめ、うっしっし」とか、意地の悪いことを考えていたと思う。ぼくにはその時、サラリーマンが、ただその日お風呂に入りかっただけなんだとしか思えなかった。今思えば、サラリーマンは10月末でヌルヌル銭湯が閉まるお知らせの張り紙をみて、立ちすくんでいたんだと思う。僕がその張り紙を見たのはその数日後だった。

 ヌルヌル銭湯は、刺青のひとも入れるような銭湯だった。ずんぐりしたサラリーマンとか、僕とか、おじさんとか、若いにいちゃんとか、刺青の入ったお兄ちゃんとか、誰もがかまわず入れる銭湯だった。みんな裸でみんなダサくなれるような銭湯だったように思う。

 閉店の張り紙をみて数週間も入りに行く気にならなかった。やはりお湯の熱さを思い出したら、アトピー肌の調子を見つつ、なかなか行くことができなかった。そして閉店する前日の今日、「今日こそ行くしかねえ」と、ガッチマンのサイコブレイク2の実況動画を見終わった10月30日23時前のぼくは思いたった。急いでスウェットにパーカーを羽織って、タオルとパンツをクリーニング屋でスーツを入れてもらったビニール袋につっこんでヌルヌル銭湯に向かった。久しぶりのヌルヌル銭湯だった。

 ヌルヌル銭湯は静かに混んでいた。こんな混んでいることは、今までの数回の中で一度もなかった。誰もが無言で銭湯の終わりを確かめ見届けるように、脱衣所で服を着たり脱いだりしているように見えた。脱衣所ではいつものようにNHKのニュースが流れていた。きっとみんな考えていることは一緒だった。

 久しぶりのヌルヌル銭湯は浮き足立った。忘れずせっけんをタッパーに入れて持参した僕は数ヶ月ぶりのヌルヌルのお湯で体を洗い始めた。相変わらずのヌルヌルだった。このお湯は、やっぱり肌にいいのだった。アトピー性皮膚炎で乾燥肌の僕にはこのお湯はとてもいいのだった。湯船に入ったら、ヌルヌル以上にやはり熱すぎた。せっかく銭湯に来たのに、湯船に3分くらいしか入らないこともあった。僕にとってこのお湯は熱すぎたのだ。ヌルヌルで肌にはいいのだが、やっぱり熱かった。それでも、今日は、1分くらいは長く入ったと思う。それでも1分が限度だった。

 僕以上に歴史があって、僕が越してきてこの銭湯を知ってたった半年しかないんだけど、なんでこんなに切ないんだ。もうお風呂に入りながらこの光景が見れないんだなとふと思いながら熱いお湯に浸かった。きっと閉店の日に来たら辛いだろうなと思って、前日に来るのが限度だった。だからと言って泣いたわけではないんだけど。お風呂から脱衣所に出たら、そこにあったポカリの自動販売機がなくなっていたのに気付いた。

 脱衣所を出て、番台にいるおばさまに「何回かしか来れなかったけど、本当にお世話になりました」と声をかけた。「こちらこそお世話になりました。おやすみなさい」とおばさまは深くお辞儀をしてくれた。本当にありがとうございました。笑うとも泣くともいえない表情でお辞儀をしてくれたおばさんを直視できず、金春湯をそそくさと出て、台風明けで風の強いなか、アパートまで走って帰った。