Average Joeブログ

個人的な日記を毎日更新ニキ

今日 148 (2019/10/24)

『"隠れビッチ"やってました』の映画の予告をみて、「これは自分がこれまで苦しんできたものと強く関係ある作品だ」とずっと思ってて、でも映画をみたら直接傷つきそうで、昨日の昼休みになんとなくKindleで原作のマンガを買って、今日読み終わった。男にちやほやされたい女性の心理がどんなものか知りたかった。

前半はとにかく辛かった。ただちやほやされたいだけの若い女性の考えることの一端はなんとなく想像がつくようになったが、そこで傷付けられる男性が、コミカルに描かれているけどとても他人事とは思えず苦しかった。それぞれ、その女のことが好きになってんだぞ。勇気出して告白してんだぞ。若い女で、ちょっとやり方が上手いからってだけで、いとも簡単に男性を翻弄することができるということがやっぱりとても残酷だなと思う。前半部だけだったら、女性の考えることを知るという目的は達成しても、不快感のある作品という印象を持つ。

「自分と同じような感想を持った人はいないか…」とやや震える手でスマホをいじり、アマゾンのレビューを遡った。「自分も似たようなことしてました」という女性の読者の意見がいくつかあって、ゾッとした。「女ふざけんなよ」と思う。ある男性のレビューが自分の考えも代弁してくれているような気がしたので、以下に引用する。

 

大昔の学生時代のサークルで、奥手で童貞の男が、まさにこの漫画のぴろよさん的な女に振り回されて痛い目に遭わされていました。
もちろん私もその一人。向こうから擦り寄ってきて、「好きだ」と言わせてからノラリクラリと肩透かしを食らわされて、さんざん引っ張ったあげく、最終的に周りに欠席裁判で言いふらされて「何勘違いしてんの(笑)」とボロ雑巾のように振る・・・ということを繰り返す女。
顔も十人並みで地味で清楚だけど、じっと目をみて表情が豊かで男を惹きつけるツボを心得ていて、絶対に自分だけは傷つかない術を身に付けていたように思う。
それまでに女性に振られたことは何度かあったが、この時の振られ方には納得がいかず、心の奥底に怒りがこびりついて離れない感じでずっとトラウマになっていた。
最近この漫画の題名の「隠れビッチ」ってところに、アレ?もしかしてって感じで自分のトラウマと照らし合いながら読んだが、まさに目から鱗で愕然とした。
もちろん「ヤリマン」なる女性の存在は知っていたが、身体の関係は持たずに、恋愛を匂わせてただチヤホヤされたいだけっていう「隠れビッチ」なる生態は男にとって本当に厄介だと思う。
自分はアラフィフで年齢的にも経験値があると思い込んでいたが、まだまだだと感じさせられました。

 

アラフィフのおじさんですら、自分のトラウマと照らし合わせて読んで気づくものがあるんだな…人生ってながくて辛いよな。30歳の自分が苦しんできてまだ清算がついていないのは仕方のないことだろう。「もちろん「ヤリマン」なる女性の存在は知っていたが、身体の関係は持たずに、恋愛を匂わせてただチヤホヤされたいだけっていう「隠れビッチ」なる生態は男にとって本当に厄介だと思う。」というところは、まさにパンチラインだと思う。女なんて本当に嫌いだよ。サラッと書いてるけどこのレビューは作品と同じくらい重い意味を持つと思う。そういう女が存在する一方で、それに苦しめられる男性がいるということを表しているという意味で。まあ人間だから苦しんで当たり前だけどなあ。

 

作品の後半は違う意味で苦しかった。よくもここまで自分に向き合って、苦しんで、さらけ出して、わかりやすくストーリーにして視覚化をしたなと思う。作者がこれを作っている最中、さぞ孤独な道を苦心して引き開いてたんだろうなと思うと、戸越のベローチェで読んでいる途中、終盤で泣きそうになった。この向き合い方を単に「メンヘラ」と切り捨てているレビューがいくつかあったが「わかってねえなあ」と思う。これは、自分だけにしかわからないことに正面から向き合った人がすべてをさらけ出して紡いだものだと思う。保坂和志の言い方をマネしたら、これは「小説」だと思うけど、保坂和志は最近うさんくさくてぶっちゃけ信用していない。これを読んで「自分もそうだった」とか俺みたいに「こういう女ってそんなふうに考えてたのか!ふざけんなよ!」とか、発見させたり、さらけだしていることで、同様の苦しみで気が滅入っている人を肯定してくれるだろう。自分は自分のワイシャツの臭さをさらけ出して、認められるだろうか?と考えると、まだできないと思った。

『"隠れビッチ"やってました』でコンプレックス所以の心の隙間を埋めるために男を弄ぶ女がするように、自分にとって心の隙間を埋めるようにしてるのはなんだろうか、と考えたら今は、金もないのに、FANZAでAVを買ってみて使うということなんだろうか、と考える。悲しくなる。内向的かつ性的に変態、自分以外の誰にも迷惑はかけないのはえらいと思うが、働く人なら誰でもできる、いわば現代の量産型ともいえる男の姿なのかもしれない。テクニックもいらねえ。すべてストリーミング配信の作品を買っているから、どこかで直接卑猥な商品を手にとって、レジにもっていく、みたいなリスクもねえ。自室で自分一人で完結してしまう。このあいだ、FANZA(旧DMM)でこれまで購入した作品数をみたら、「192」とあって愕然とした。その後昨日2本さらに買ったので、200まであともう少しだ。ほとんどをセール品で購入していて、だいたいで計算してみると、これまでFANZA(旧DMM)で15万円弱を使っていることになっていた。計算しなければよかった。買い始めたのは、およそ4年前から。おいおいおれはFANZA(旧DMM)にそんなに金を使ってきたのか…。最近「間違いない」と思うのは『GETナンパ』シリーズ。ヨーデル阿川さんはすごい。FANZA(旧DMM)、おれを雇ってくれよ…伊集院光が、ラジオで「エロに使ったお金は計算してはいけない」と言っていたが、まさにその通りだと思った。この事実に、自分を嫌いになったりはしないが、悲しいとは思う。おれはこのコンプレックスをどうやってとらえてどうやって形にできるだろうか?