Average Joeブログ

個人的な日記を毎日更新ニキ

今日 878 (2021/10/20)

職場近くのタリーズ統計学の勉強を少ししながらカネヨリマサルの『春』を聴いていて「手をつないだ寒い季節と 二人は終わったらしい」という歌詞。辛えなあと思ったけど美しすぎるんじゃないかとも思った。

よくよく考えたら、この寒い季節と一緒に関係が終わった二人も、自分のケースみたいに、どちらかのだらしない性格のせいとか、馬鹿だったせいとか、よく起こるすれ違いとか、そういうのがきっかけで別れたに違いない。

じゃあ俺も、自分のこと責めるばかりではなく、カネヨリマサルの曲みたいに美しい思い出として記憶を保存してもいいのではないのかなと思った。この2年弱くらい、自分の馬鹿さとかだらしなさとか自分でずっと責め続けた。相手からLINEはじめいろんなSNSやメールアドレスからあらゆる返事が返ってこなくなってから。返事がなくなって初めて気づいた、相手が自分にとっていかに大切だったか。自分は馬鹿だったけど、今も馬鹿だけど、その時に冷静に考えるような判断はできたか?と思うと、それは、どんなに我慢ができたとしても冷静な判断はできなくて、結局今の結果と同じものになっていたと思う。しょうがねえんじゃなかったのかな。そうやってしょうがねえって考えるのがいわゆる認めることで、いわゆる自分の許すことなのかな。ああやばい、タリーズ統計学のメモ書いた紙を前にしてこの文章を書いてて、泣きそうだ。この2年弱とても辛かったよな(一回ちゃんと泣いてしまってティッシュで目を抑えて、また泣いてしまいながら書いている)。ずっとずっとその相手が本当は自分にとってとても大切だったはずなのに自分の気まぐれで捨て去って、なのに縋り付いて…そんな自分が本当に馬鹿だと思っていて、それは本当にそうなんだけど、でも自分がしょうもないのは仕方のないことで、もう責めなくてもいいんじゃないか。責めても責めなくても、もう同じ関係は戻ってこないんだから。あれ、昨日夜に見終わったSonny Boyの長良くんと同じになってねえ俺?長良くんと同じならきっと、残酷な現実でも生きるしかなくて、前向きに生きていいんだよ。この先何があるかわからないんだから、光があることを信じて生きていっていいんだ。

 

自分のこの2年弱の心の清算とSonny Boyのラストの納得が同時に済んだ。ありがとうSonny Boy。俺みたいな人を救うためにあのラストはあったんだな。思い通りになって何が現実だ馬鹿やろう、それでも前向いて希望持って生きていかなきゃってことだったのだ(だから希は希って名前だったんだ…)。