Average Joeブログ

個人的な日記を毎日更新ニキ

今日 611 (2021/01/27)

一昨年、付き合っていた人にした僕の罪は計り知れない。それで彼女がどれほど傷ついたらわからない。

だから、自分はその贖罪をしなければいけない。決して都合のいい状況を楽しんではいけないと思う。自分のしたことを、自分で噛みしめて、後悔や罪悪感で苦しまなければいけないと思う。

だから、自分はせめて「彼女がほしい」だとか甘いこと抜かしてはいけない。そんなことよりも、自分の仕事、自分と属する組織未来の自分のためにできることに専念しなければいけない。

それが、テレワーク仕事中、外に散歩にいったときふとわかった。

いま僕は、自分のしたことを受けとめて、苦しみ、省みなければいけない。せめての償いとして、自分のため他人のため、行為に専念しなければいけない。

せめてもの救いは、きっと彼女は今どこかで幸せなんだろうとなんとなくわかることだ。心から、幸せであってほしい。

僕は、ここからまた謙虚に生きなければいけない。行為に専念して。

 

きっとこう考えるのは、以前バガヴァッド・ギーターを読んだためだと思う。これからまたバガヴァッド・ギーターを頼りに、生きていくだろう。

自分が今恵まれない結果にいるのは当たり前だ。それがわかってよかった。

 

2日連続で外食して罪悪感。

 

昨日母親と電話した内容が気になり嫌な気持ちを引きずっている。たぶん、僕が小さい頃家で閉塞感を感じていたのも、自己肯定感が高くないのも、付き合ってた彼女を実家に連れて行ったときにトラブルがたくさん起こったのも、この人に依るものが大きかったのだと思う。これから万が一結婚したいとなることになったら、一番の難所は間違いなくこの人の存在だと思う。憂うつな気持ちになる。考えたくないことだ。